最初の犠牲者 | 匡掩 さん作 |
『残念ながら諸君らは二度とログアウトできない』 何を言っているんだ。そんな言葉が真っ先に頭に浮かんできた。思わず、頭上に浮かぶ巨大な頭を睨みつける。 冗談だとすると、性質が悪い。ただでさえ、ログインするとき脳をハックされているような嫌な気がしてしまったというのに、その言葉は心臓に悪い。 華やかなセレモニーに、ブラックユーモアは不必要だ。心底そう思う。 早くその冗談を取り消して、ゲームを開始してくれ。そんな思いを込めて、睨みつけていた目を普通に戻し、再び巨大な頭――このゲームの作者、茅場の顔を見る。 ちょうどそのとき、少し間を置いていた茅場が口を開いた。 『付け加えれば、ゲームサーバーあるいはナーヴギアからの強制切断が起こった場合でも諸君らは現実世界に復帰することができない。その場合は正常な意識回復シークエンスが発生しないように……』 まだ続けるのか。今度は少々脱力した。茅場昌彦はこんな寒い冗談をいうような人だったのか、と幻滅した。 天才というものは、もっとユーモアがある知的な人だと思っていたのだが、そうではないのか。 いや、それとも茅場が例外なのだろうか。とにかく、もうそんな事はどうでもいいから早くゲームをさせろ。 皆きっといらいらしているに違いない。そう思って、俺はログインしてから始めて周りを見回した。 しかし、皆はざわついていた。なぜだろう。一瞬考えて、すぐにその理由に思い当たる。 ログアウトボタンがないから。 考えてみて、慌てて否定する。そんな事、あるわけがない。だが、周りのざわめきはどんどん大きくなってくる。 そうすると、流石に俺も心配になってくる。まさか本当にログアウトできないのだろうか。そんな馬鹿げた不安がまた湧いてくるが、それを俺は意図的に無視した。無視しようとする。 ……そんなわけがない。デスゲームものの小説じゃあるまいし、現実、それも俺にそんな不幸が降りかかってくるはずない。ありえない。 それでもやはり少し不安が心に残るので、それを打ち消す言葉を吐いてくれることを期待して、俺は茅場を三度見た。 今度はさっきよりも長めの沈黙を間に挟んでいた茅場だったが、やがて口を開いた。 『諸君がこのアインクラッドから脱出する方法はただ一つ誰か一人が最上階に達し、このゲームをクリアすればよい』 出てきたのはそんな言葉だった。まさか、まさか本当なのか?心に芽生えていた不安は、それによって一気に爆発した。 俺はそこに至ってようやくメニュー画面を開いてみた。現れた画面の右下に、恐る恐る目を向ける。 眼球を移動させる、その刹那が思考の上で引き伸ばされる。 そこに、ログアウトボタンがあるはずだ。ないわけがない。茅場は天才だ。だが狂人ではないはずだ。あるはずだ。ある。きっとある。いくら茅場でも、国家を敵にまわすような事はできないはずだ。だからある。 必死の思いで目を向けた先には……。 気がつけば宿屋の前に座り込んでいた。ぼんやりと空を眺めるつもりで、首を上げる。 目に映ったのは広い広い石の天蓋。不意に笑いがこみ上げてくる。 俺は今まで全く目立たない人生を送ってきた。親の言う事には適当に従い、適当に反抗する。 学校では、先生の言う事には従い、その影で友人の言うとおりに先生を批判する。 周りの意見に逆らわない。必死になって流れに乗って、そこそこの会社に入社して言われたとおりに仕事をし、飲み屋で適当に友人に合わせて上司の愚痴を言う。そして上司と飲むときは、適当に合わせて、部下の無能さに対する批判に賛同する。 流されて、生きる。それが正しく、一番楽な生き方だと思っていた。 何かの童話に出てきたこうもりみたいだ、と思いついて寂しく笑う。たしか、獣と鳥が戦争をしていたんだ。 それで、外見上どっちにもなるこうもりは、その時その時優勢な方の味方に付く。 最後は両方から見放されてのたれ死んでいたはずだ、あのこうもりは。 その点、俺はまだ間に合う。まだ死んでいない。だが、これから生きていても、やはりまた同じ生き方で生きる人生になってしまいそうな気がする。 そんなことを考えていると、馬鹿な話かもしれないが、周りが生きようというならば、死んでみようという気にさえなってくる。 一度くらい流れに逆らってみたい。そんな他人から見れば、果てしなく下らない理由から死んでみようと思った。 この機会を逃せば、きっと俺は流れに逆らうことなく死んでいく。情けない事だが、はっきりとその事がわかる。 わかっていても、変えられないだろうということもわかる。 それに、もしかしたら死なないかもしれない。考えてみれば、ナーヴギアの構造上、ありうるかもしれない。 もし、このまま生き残ったとしても、絶対に後悔する。だったら、死ぬ可能性が大きくても、後悔しない選択をしたい。 だったらそうすればいいじゃないか。 そうと決めた後の俺の行動は早かった。大きな、人々の『流れ』を見るために先程の、ナーヴギアの構造上死なない、と言う理論を会う人全てに話して人を集める。 そして、集団と呼べるほどの人数になったら、アインクラッドから外が覗ける展望テラスへと行く。 いま、俺は最高に幸せだ。ずっと雨だった俺の人生が、突然晴天になったような気分だ。 何故ここまで晴れやかな気分になるのかは分からない。もしかすると、流される事が、自分にとって物凄くストレスのたまる事だったのかもしれない。 だが、そんな事はどうでもいい。俺は今幸せだ。 もう一度、俺が自殺する名目を集まった人々に話す。中には引き止めてくれる人もいたが、俺はもう決心したのだ。 絶対に逆らって見せると。 いよいよ、俺はここから飛び降りようと思う。正直、かなり怖い。足には震えがきている。それでも後悔だけはしない。 しないと決めたのだ。だから今から俺は飛び降りる。 願わくは、この瞬間が人生最良のときである事を……! 情けない事に、俺は絶叫しながら落ちていったが、やはり幸せだった。飛び降りてよかったと思っていし、微塵も後悔していない。 その証拠に、薄れ行く意識の中でこんな事を考える余裕がある。 最期に茅場に言いたい。ありがとう。 |