ネコミミの温度 | び さん作 |
※この話は『ソードアート・オンライン』の設定を使用しておりますがパラレルであり、本編とは関係ありません。 賑やかに人が行き交う街の中心、転移門前。その周辺が商売をする時の一等地。 その次が宿屋と転移門を結ぶ道の前。またはNPCショップが立ち並ぶ市場の傍。 しかして俺の構える露店はそのいずれにも該当しない。 よって客の数もすこぶる少ない。 実はこんな所に店を構えているのには理由みたいのがあったりする。 告白しよう。俺はある意味お尋ね者だ。 俺の名はアンク。細工師、要はアクセサリー屋だ。 しかしアクセサリー以外にも何でも作る。武器、防具はもちろん服飾関係、家具、彫金、装飾、エンブレムの作成、果てはポーションの調合に料理まで何でもする。 SAO開始時の混乱の中、必要に迫られて職人クラスが寄り集まり作られた職人ギルド。その中を走り回って取得した職人クラススキルの数はスキルスロットの数を遥かに上回ったが、そこはシステムに上手く乗っかってスキル全てをそこそこには上げていると自負していたりする。 そんな中、細工師と名乗っている理由は簡単、細工物の作成スキルをメインに挙げているからだ。 アクセサリーはいい。熟練度が低いうちはパラメーターになんの影響も及ぼさない無駄な物しか作れないが、他の作成スキルよりデザインの自由度が遥かに高い。 職人スキルにおいて熟練度で獲得できる要素は三つ、性能の上昇、扱える素材アイテムの増加、そしてデザインの自由度の上昇だ。そして三つの要素の重要度は扱う職人スキルによって違う。 例えば武具作成スキルと呼ばれるものは――金属を扱うものや革を扱うものなどでさらに細かく分けられるがそこは割愛する――システムに規定された武器、防具しか作れない、つまりデザインについては全く自由度が無いのだが(後で彫金、装飾スキルでデザインの変更はできるが)熟練度の上昇によってどんどん強いもの、良い素材のものが作れるようになる。 それに比べて俺のメインスキル、細工物作成スキルは熟練度が低いうちはパラメーターになんの影響も及ぼさないし、多分マスターしてもそんなに重要なものが作れるとは思えない。その代わりデザインの自由度は最初から高く、熟練度が低いうちは規定のデザインの組み合わせで、高くなれば一からデザインしたものを作る事も可能だ。ただし能力の高いアクセサリーほどデザインの自由度は減ってしまうのだが。 だからこそ細工物作成スキルは熟練度の高さよりも個人のデザイン能力の方が試されると言う事であり、その大変さからマイナーなスキルでもある。 しかし俺はそのデザインの自由度が気に入った。 俺は皆が驚くものを作りたくて職人クラスを選択したのだ。ならばメインスキルはデザインの自由度が高いものを選ぶのが適当だろう。 そこで俺は細工物を中心にデザインの自由度が高いスキルを修行する事にした。 だが、当初これがさっぱり売れなかった。それはそうだろう、SAO開始1ヶ月ちょっとはやれ攻略だ、生き延びる為だ、生活の為にコルを稼ぐんだと皆必死なのだったのだから、ステータスの足しにもならない品物に見向きもしないのも当然だ。 そこで俺は一計を案じた。と言っても大した事ではない。自分でアクセサリーをつけて歩き回っただけだ。 宣伝効果は思った以上に良かった。自分だけのファッションに、またはギルドの特徴付けの為に、俺の作った品物は徐々にだが売れるようになった。 そこで満足していれば良かったのだが、俺は驚くようなものを作りたいと言う欲求に逆らえなかった。 服飾系の作成スキルを駆使し、システムの規格にある騎士礼服を色調を変え、細部を改造し、細工物スキルで作り上げたボタンや校章を取り付け、作ってしまったのだ。――学生服を。 皆の驚く顔を想像し、意気揚々と学生服を着て町へ出た俺を待っていたのは激しい非難だった。 ――俺らの気持ちを逆なでする気か!? ――皆が帰れなくて苦しんでいると言うのに、現実の事を想像させるな! 瞬く間に非難の波はアインクラッド中に飛び火し、一大社会問題となってしまった。 そこで前からそう言う風潮はあったのだがリアルの話はさらに語られる事がタブーとなり、重要なマナーとして浸透し、マナー違反者が激しい敵視にさらされる事になった。 事態を重く見た《軍》は事態を収拾させるため、火付け役である俺に全ての責任を集中させた。一週間の謹慎と販売停止命令、それと商品の一斉点検、そして新聞の非マナープレイヤーリストに載せ俺が行った事の次第と俺が裁かれた事を公表した。 名と顔が売れた俺はそれからというもの人の目を避けるように転々と場所を変えつつ裏路地に露店を開く事となった。 それでもどうにか非難の波は去った様で、近頃は名を名乗らなければ普通に物が売れるようになった。名前がばれるとまた場所を変えて店を開かなければいけなくなるのだが。 そして『学生服事件』の余波なのか、わざわざ俺を探し出しておかしな注文をする客が増えた。現実世界の服を注文するもの、アニメのフィギュアを作ってくれるように頼むもの、おかしな下着を注文するものなど、他の人に知られたく無いものを作ってくれる駆け込み寺のような状態だ。一番おかしな注文と言えば『リアルな仙人のような髭』を少年が注文してきた事だろうか。学芸会でも行うのだろうか、と首をひねりながら作ったものだ。 まあ、作るからには妥協はせず、全て最善のものを作るのが俺のポリシーなので作った後に不満を漏らされたことは無い。それが俺の自慢だ。 しかしそんなおかしな客は月に二度来れば良い方で、俺はアクセサリーや服など雑多なものを売って細々と暮らしている。 その女性が来たのは午後の事だった。 俺はその前日、今まで作ってきたもののデザインのリストを整理していたので少し眠かったのだが、お客様は神様だ。愛想良く「いらっしゃい」と挨拶した。 その女性は品物をちらりと見て、「……趣味が悪い」と言ってのけた。 女性の視線の先には『安産祈願』と明朝体で彫金された盾。一応売り物のつもりだったのだが、売れないままうちの看板と化してしまった一品だ。一応、周りの唐草模様といい、力作なのだが理解されなかった様だ。 「まあまあ、その盾は看板。アクセサリーは良品ばかりだよ。まあ見ていってよ」 しかし彼女はしゃがみこんでマットに並べられたアクセサリーを見るわけでも無くこちらをじっと見ている。 ああ、これは例の客だな。 「おまえがアンクか?」 俺は無言で頷いた。俺を名指ししてくる客、それは人には言えないおかしな品を求めてくる客だ。 見たところ普通の槍戦士。装飾を全く施していない簡素な革鎧と背中に差している無骨な短槍がメイン装備なのだろう。 女性にしては背が高く、すらりとした活動的な印象を受ける体型だ。……皮鎧のせいか、胸は無さそうに見える。 物凄い美人という訳ではないが、この世界でメイクを殆どせずに見られる顔と言うのはそうそう無い。つまりそこそこには整っているという事。 ただ、目つきが悪いと言うか、目つきが怖いと言うか、きりっと吊り上った眉と鋭い瞳のせいで冷たそうな印象を受ける。肩まで伸ばした真っ直ぐな髪は青みを帯びその冷たさをさらに助長している。 実用的な装備一本に絞っている事、メイクやアクセサリーなどに殆ど金を使っていない事などから戦闘に命を懸けているタイプだと判断した。そんな女が何を注文するのだろうか? 俺は彼女の言葉を待った。 「ネコミミを……作れるか?」 ネコミミかよ!? 心の中だけでツッコミをいれる。実際には俺の表情は眉がぴくりと動いたくらいしか変化していないだろう。 SAOと言うゲームはリアル調を売りにしているだけあって世界観は硬派なファンタジー世界である。モンスターもカワイイ系のものより圧倒的に怖い、醜い系のモンスターの方が多いと言う硬派なゲームである。そこに和製ゲームながらアニメ調のデザインが介入する余地は無い。当然俺は―― 「はい、ありますよー。こんなもんでどうかな?」 当然俺は作っていたりする。俺は皆が驚くようなものを作りたくて職人になったのだ。ネコミミの一つ作れなくて何がアクセサリー職人だ。 渡したネコミミ付きヘアバンドを女性は矯めつ眇めつ見ていたが、唐突に溜め息をついた。 「……こんな物しか作れないのか。――失礼した」 「ちょ、待ってよ! どんなものでも作るから要望を言ってよ!」 意気消沈して帰ろうとする女性を慌てて止める。このまま帰したとあっては俺の職人魂が許さない。 幸運な事に彼女は足を止めて帰るのを止めてくれた。ほっと一息つく。 「――で、どんなネコミミをご所望なのかな?」 彼女は顎に手を当て悩む仕草をする。 「……そうだな、こんなコスプレみたいなちゃちな物ではなくて本物みたいに見える物が欲しい」 ぐさっ! 「質感もこんな毛皮で形を整えただけみたいな物ではなく、温かみのある生きているような物がいい」 ぐさっ! 「なにより付けていますと言わんばかりのヘアバンドが気に入らない。これ無しで装着出来るものは作れるか?」 ぐさっ! ……俺の職人としての誇りはずたずただ。だがそこで諦める俺ではない! 「ああ、出来ますとも。オーダー通りのものをぜひとも作らせてください!」 「そ、そんなに気負わなくてもいいのだが……」 「材料さえあればあなたを萌えに萌えさせる一品だって夢じゃない!」 「……その表現はちょっと怖いな」 「という訳でまずは最高の材料集めから! 十日待ってください! 最高のネコミミをあなたに作って差し上げます!」 「十日はちょっと時間がかかり過ぎじゃないか?」 女性は一旦悩む仕草をした後、こちらを向いてにやりと笑った。 「材料集めにはあたしが同行しよう。多分期間を三分の一に短縮できるはずだ」 「いや、手ずから材料を集めるわけじゃなくて、パーティーに依頼して集めてもらうんだけど」 困惑気味に説明するが女性は聞いていない。 「パーティーに依頼するなんてそんなまだるっこしい。今から狩りに出れば素材アイテムの一つや二つ、すぐに手に入れられる。行こう。」 午後からが掻き入れ時なのだが、この女性に引っ張られるように強引に店仕舞いさせられた。 「……狩りに出て素材を集めるのではなかったのか?」 「アクセサリーっていうのは素材の特性を活かして組み合わせて作るものなの。だからレアでもない普通の素材アイテムも必要で、そういうのはまとめて店で買った方が早いの」 俺はこの女性を諦めさせる為、仕入先のプレイヤーショップに来ていた。出鼻を挫かれてさぞかし気を削がれただろう。 ちなみにこの女性の名前は聞いていない。こういう訳有りの客に対しては名前を聞かないのが礼儀だと俺は思っている。 仕入れも済んでトレードウインドウをしまうと彼女は胡散臭げに俺の顔を覗きこんできた。 「それさえあれば作れるのか? それならば何で十日もかかるなんて言ったんだ?」 「もちろんこれだけで作ろうとなんて思ってないさ。最高の素材で最高の『アレ』を作るって言っただろ? 後は上層にあるような素材を手に入れて『アレ』を作るだけだ。だからパーティーを募って大人数で攻略した方がいい。分かった?」 彼女は眉を顰めて、そしてどこで手に入れられるものなのか具体的に聞いてきた。 もちろん俺は具体的に答えてあげた。その中には攻略層近くにある物もある事を含めて。 それを聞いて彼女は考え込んでいる様だった。 そうだ、諦めろ。一人で採集するなんて無理なんだ。 「……その数なら今日中に集めきる事も出来るな。――今から行くぞ」 彼女は顔を上げると余裕に満ちた表情を浮かべた。 唖然とした。数は少ないものの一人で危険な高層で採集しようというのか? 意気揚々と俺を引っ張っていく彼女。何故か頭の中にドナドナが流れていた。 俺は一度非マナープレイヤーリストに載ったお尋ね者だから、素材集めもプレイヤーに頼まず、一人で行う場合も多い。 それは職人プレイヤーの中では戦闘経験が多い事も意味する。危険なソロプレイを通して俺も結構戦闘には自信を持っているつもりだった。 この女性はそれに輪をかけて強かった。多少層が上がったくらいではなにも動じず、短槍であっという間に敵を狩って行く。そこには小人数プレイに慣れた動きがあった。その動きはしなやかで無駄が無く、一匹の美しい獣の様にも見えた。 何者なのだろう。もしかしたら攻略組なのかもしれない。しかしそうなのだとしたら何故ネコミミなんかを…… 「これで大体揃ったとは思うが、後は何が残っている?」 出会った時から変わらない、淡々とした口調で喋る彼女。ついさっきまで大型の獣型モンスターと戦っていたというのに息切れ一つしていない。 「後はクエストで現れるモンスターから手に入るアイテム。それで最後だな」 「クエスト?何か特殊なものなのか?」 「いや、クエストはおまけでメインはモンスター、大体未解決クエストだしな」 彼女は槍を背中に戻し、顎に手を当てた。 「――で、そのクエストというのはどういう物なんだ?」 「うーん、特殊素材アイテムの入手クエストっぽいんだけど、そのモンスターを倒しても出てくるのは役に立たない革素材アイテムばかりと言うからなあ。――まあ、その役に立たない革素材アイテムこそがネコミミ作成の重要なキーとなると俺は踏んでいるんだが」 「その特殊素材アイテムとは?」 「なんかめちゃ軽い繊維系素材アイテムって噂だから敏捷度に補正がかかる服関係でも――って、クエスト攻略まで考えているんじゃないだろうな?」 彼女はにやりと笑い―― 「さあ、行くか」 「お、おい、待て! 俺らの目的はモンスターであって――」 なんか引き摺られてばかりの気がするが、きっと気のせいに違いない。 仕立て屋のおっさんNPCに話を聞いてフラグ立てをし、そこから目的地の森まで移動した所で夜の八時を回っていた。この女性と出会って七時間ぶっ通しで素材集めに奔走していた事になる。 改めて彼女を見る。背が高く躍動的な体躯、しなやか且つ野生の獣を思わせる身のこなし、冷たく切れ上がった瞳、シャープな顔の輪郭、これにネコミミをつけた姿を想像してみるがいまいちピンと来ない。 何と言うか野性的過ぎるのだ。ネコミミの愛玩動物的可愛さが別の物に取って代わられてしまう。ネコミミのイメージがオオカミ……いや狐、キツネだ! キツネミミならイメージにぴったりだ! 尻尾もつけてあのにやりとした笑い方をすればこれほど合う者はいまい。 「……なんだ?」 「いや、なんでも無い」 怪訝な顔をしてきた彼女にそう言う。そう、彼女が所望してきたのはあくまでネコミミであってキツネミミなどではない。彼女が望まない限り俺が作るのはネコミミなのだ。 「なあ、なんでネコミミなんだ?」 つい言ってしまった。訳有りの客にはなるべく詮索し無いようにしてきたのに。 彼女は例の顎に手を当てる悩む仕草をした後、不敵に笑った。 「かわいいからだ。それ以外に理由などあるか?」 あなたには似合いませんよ、とは言えなかった。 夜の森を歩いてしばらくして巨木が現れた。大きな黒いシルエットとして現れたその巨木は鬱蒼と葉を茂らせ、太古の巨人を思わせる。 目的のモンスターの出現ポイントだ。ふと前を歩いていた彼女の足が止まる。 「来たな。多分例のモンスターだ」 言われて辺りを見渡す。森の奥からずず、ずず、と大きなものが地を這うような音がしてきた。 既に彼女は槍を構えて森の奥を見据えている。俺もメイスを握り締め、彼女が見据える先を睨んだ。 その怪物は口笛が濁ったような鳴き声をあげて巨木の蔭からその姿を現した。巨大な大顎を持ち、全身を黒い毛で覆ったワゴン車くらいありそうな毛虫。身体に比べて小さなその頭にある四つの目は、夜の闇の中赤い光を放っている。 「……毛虫とは聞いてなかったぞ」 「ええと、奴のアタックパターンは、頭の大顎と、口から出す糸と、尻尾の跳ね飛ばしだって! ……き、気をつけてね!」 虫が苦手なのか、情けない声を上げる彼女をアドバイスでごまかし、胴体部分を叩きに走る。頭部はお強い彼女に任せて十分だろう。 毛虫は頭をもたげてもう一度鳴き声をあげた後、口から猛烈な勢いで糸を吐き出した。 彼女は動かない。槍を突き出し糸に向かって構える。何をするのかと見ていると槍の穂先が円を描く様に猛烈な勢いで回転し、吐き出された糸を巻き取っていった。 「これが例のクエストアイテムじゃないのか?」 敵から距離を取って俺に向かって綿飴のようになっている槍の穂先を突き出す。 「……いや、それはただの攻撃だから。一定時間が経つと消えるから」 実際、あまりにもクエストアイテムの繊維が見つからないのでこれがそうじゃないかと同じ事をした人がいたらしい。しかし、アイテムに必ず出るポップアップウィンドウが出ない上、毛虫を倒したと同時に糸の塊は消えてしまったという。 彼女は再び戦闘に戻る。一度糸に包まれた槍の穂先を毛虫に深く刺し、穂先を露出させて戦いに挑む。今だ槍にくっついている毛玉がなんだか情けない。 とはいえ毛玉に目を移さなければ彼女の強さは本物で、息吐く暇も無い連続技の度に毛虫のHPバーががつん、がつん、と減っていく。 再び毛虫が身をよじり糸を吐く態勢になった時、彼女は今度は距離を取り冷静に糸の射線から外れると突進技を決行。真っ赤なエフェクトと共に身体ごと突き刺さる。衝突の勢いで毛虫の巨体が揺れる。 こちらも負けてはいられない。 何度か尻尾(と言って良いのか)の一撃で真横に弾き飛ばされたりもしたが尻尾自体は柔らかく、地面や木に叩きつけられなければダメージは大したことが無い。 毛虫のどてっ腹にメイスを叩きこむ。と、また尻尾の一撃が俺を襲おうと迫ってきた。 「おおっとぅ!」 難無くジャンプしてかわす。降り立ち様に反撃してやろうか、と思ったとき―― 「馬鹿! 何やってる!」 彼女が突然空中にいる俺に向かって飛び込んできた。何を!? と思った次の瞬間目に飛び込んできたのは、跳ねあがるぶっとい毛虫の尻尾。 激しい衝撃と共に俺と彼女は天高く跳ね上げられた。攻撃力としては大した事が無いが遥か上空まで飛ばされてしまった。この高さから落下して無事で済むとは思えない。 「掴まれ!」 彼女の声が聞こえ、手に触ったものに必死にしがみつく。 「身体を丸めろ! 衝撃に備えるんだ!」 視界の端に迫ってくる巨木の姿が見えた。 バキバキバキというサウンドエフェクトと共に幾重にも広がった枝に衝撃を吸収され、俺達の身体は落下を止めた。ひらひらと舞い落ちる葉っぱが落下の緊張を溶かしていく。 「……いつまでしがみついているんだ。――離れろ」 言われて今の態勢を確認してみる。どうやら彼女の身体に必死でしがみついていたようだ。顔は丁度彼女の胸の辺りにあるが、革鎧のせいで柔らかさは感じられなかった。 一息吐いて、彼女から離れる。それでようやく彼女も体勢を直し、二人で太い枝の方へと移った。 「……生きてたな」 「まあ、そうだが」 俺の方はいまだにどきどきしていると言うのに彼女は冷静だ。どんな胆力を持っているのだろうかと不思議に思っていると彼女の方もこちらを見つめてきた。 「気付いたか? まだクエストは続いているようだ」 「は?何を――」 「考えても見ろ。普通こういう樹木は大半が破壊不能オブジェクトだろう? それなのにご丁寧にサウンドエフェクトで枝の折れる音を再現したり、葉っぱがひらひら落ちて来たり、大体衝撃が吸収される事だって普通有り得ない。それがわざわざあるという事は落下して衝撃が吸収される事を想定して設定されたとしか考えられない。つまりあの毛虫に跳ね飛ばされる事もこの木の上に落ちる事もクエストのイベントの一つだと、そう考えられないか?――ならば」 突然彼女は立ち上がり、枝の上をきょろきょろと見回し枝から枝へと移動していく。展開についていけず呆然としていると、彼女が立ち止まり、手で「付いて来い」と示した。 仕方なく俺も立ち上がり、彼女の後に付いて枝を渡り歩く。 再び彼女が立ち止まる。俺も彼女の傍によって何があるのか見てみた。 そこにあったのは一抱えほどもある大きな繭だった。夜の闇の中でも青く輝き、幻想的な風情を醸し出している。 「これがそうか?」 「……そうだろうな。これがクエストアイテム」 「採取しないのか?」 その言葉にようやく我に帰り、いそいそと採取に向かう。その背後で彼女が言った。 「それにしてもあの毛虫が入っているとは思えない大きさだな……」 確かに一抱えはある繭だが、あのワゴン車大の毛虫が入るとは到底思えない大きさだ。しかしそれはゲーム的はったりの一つだろうと思う。そんな事より採取だ。誰もまだ見た事の無い素材アイテムを手に入れるのだ。 手を触れると繭はポリゴンの破片となり飛び散り、手の中に縒り合わされた生糸の束が残った。ポップアップウィンドウを出そうと生糸に触れようとしたとき―― 「そこから離れろ!」 背後から引っ張られ、危なく木の下へと落ちそうになり、慌てて枝にしがみつく。 入れ違い様に槍を手にした彼女が飛び出していく。その先――さっきまで繭があった所には犬顔の亜人〈コボルト〉が武器を手に立っていた。 足場の不安定な枝の上での戦闘。素早さと器用さに長けるコボルトは枝から枝へと器用に走り回り攻撃を加えようとしていく。対して槍を持つ彼女は縦横に広がる枝が邪魔して満足に槍を振るえない。 「……仕方が無い」 途中から戦法を変え、彼女は遠距離からの突き攻撃をメインに攻撃し始めた。一人で槍衾を形成していく彼女。これにはコボルトも攻撃する隙を見出せない。コボルトが様子を見るかのように足を止めたその瞬間、彼女がコボルトに向かい飛び込んだ。 「せいっ!」 気合と共に繰り出したのはコボルトの足に向けた切り払い。コボルトは体勢を崩し、枝から足を滑らせる。――が、片手一本で残った。そこに彼女は怒涛の様に突きのラッシュを浴びせた。防御も回避も出来ないコボルトは、そのままポリゴンのかけらとなり消えた。 「なんでこんな所にモンスターが……」 立ち上がって彼女の元へ戻った俺は呆然と呟く。彼女は槍を背中に仕舞い、呆れた様に言った。 「見てなかったのか? 繭の中から出てきたぞ。あのモンスター」 「って事はこの糸ってコボルトの繭?」 「……いや、あの毛虫、嫌に大顎が大きかったからな。多分肉食なんだろう」 想像する。モンスターを襲い、糸で雁字搦めにして保存する肉食の毛虫。……そんな毛虫は嫌だ。 その毛虫はシギャーシギャーと鳴き声を上げてこちらを見上げている。今にも幹を上ってきそうだ。 「さて、後はどう降りるかだが……」 「毛虫が下で待ち構えているからなあ。幹を降りている間に攻撃されたらたまんないな。――もう、転移クリスタルで帰るか?」 ちょっと諦め気味になっていた俺はそう提案するが、彼女はにやりと笑いそれをさえぎった。 「いや、試したい事がある。ひとまず一番下の枝まで降りよう」 彼女はそう言うと一人で枝を伝って降りていく。俺もそれに続いた。 巨木だけあって下に降りる毎に枝は太く長くなっていく。それとともにあれだけ密集していた枝はどんどんまばらになってきた。 「ここが一番下か……、それでも高いな。後は幹を伝って降りられるかなあ」 とは言え幹は太く、至近から見ると壁の様にも見えてくる。普通の木のように幹を腕で挟み込むようにして身体を固定する事は出来ないだろう。出来るとすれば取っ掛かりを探しつつロッククライミングの要領でゆっくりと降りるくらいだ。ロッククライミングなどやった事が無いのでそれも不安だが。 そう言えば彼女は『試したい事がある』と言っていた。何を試すのだろう。 「なあ、試したい事って何だ?」 俺の問いに彼女は振り向きもせずに答える。 「クエストは例えばこの木に無事に降りられた様に無事に帰る事まで考えられて設定されているものだ。ならばこの木から降りられる為のクッションのようなものもあると考えてよいと思う……」 「クッションのようなものってそんなもの見た限りじゃなかったぞ。それにあったとしてもあの毛虫がいる限り無事に降りるのは難しいんじゃないか?」 「目星は付けてある。後はそれが上手く機能するか試してみるだけだ」 そう言って彼女は躊躇無く枝から飛び降りた。真下には今だ毛虫が大顎を開けて待っている。彼女は空中で槍を振りかぶり―― 「はぁっ!」 ライトグリーンのエフェクトと共に空中で毛虫の大顎を受け止める。大顎の一撃は外したものの彼女の落下は止まらない。そのまま彼女は落ちた。――毛虫の背中に。 彼女の身体は質の良いベットに飛び込んだ時のように一度毛虫の背に深く沈み込み、その後優しく弾き出された。彼女は地面で一回転して毛虫から距離を取ると立ち上がり、不快そうに身体を叩いた。 毛虫の方も不快そうに悲鳴を上げてのた打ち回る。……痛かったのだろうか? しかしまさかモンスターをクッション代わりにするなんて、誰がそんな事想像しようか?彼女は遥か木の下で満足げに目を細めている。やはり彼女は猫ではない。相手を利用し利を得る賢しい狐だ。ネコミミを付けてもその印象にネコミミが負けてしまうほど野性的な逞しく生きる狐だ。ネコミミをつけて媚を売る姿など似合わないのだ。 「何をしている!頭はあたしが抑えておくから、さっさと降りて来い!」 言われて我に帰る。とは言うものの、やはりこの高さから飛び降りるのはかなり怖い。しかしいつまでもこうしている訳にはいかないので意を決して飛び降りた。 「うわああああああぁぁあ、あ?」 だが目を瞑って飛び降りたのがいけなかったのだろうか、ちょっと目測を誤ってしまい、飛び降りた先は毛虫の尻尾。 再び尻尾の一撃で俺は天高く飛ぶ事になった。 ふたたび飛ばされて、落ちる先はいつもこの木の上だという事を確認させられた俺は、もう一度枝の間をくぐり下へ降りていった。 しかしそんな事をしている間にも下では戦闘が行われている訳であり、戦闘という物はいつか決着がつくものであり、俺が再び一番下の枝へ降りた時には既に毛虫は倒されており、彼女は呆れた顔でこちらを見上げていた。 仕方なく幹を伝って降りたのだが取っ掛かりが無く平らな幹だったので途中で手を滑らせて滑り落ち、彼女に受け止めてもらうという情けない事も起きた。ちなみに転移クリスタルを使えば良かったと気付いたのはその後だ。 その後疲れた身体を引き摺り、どうにか俺のホームタウンへ戻った頃には深夜二時になっていた。 「じゃあ、今からちゃちゃっと作っちゃうから、明日……いや、今日か、昨日と同じ場所に来てくれ。そこで渡そう」 俺が止まっている宿の前まで来ると、それだけを告げる。 正直疲れてはいたが目は冴えていた。頭の中にあるネコミミの作成プランが作ってくれとうるさい。こういうテンションの時は一気に作り上げてしまった方が良いものが作れると俺は知っていた。 「すぐ作れるのではないのか? それなら待っていよう」 「いや、細工物に関して言えばデザインの設定でかなり時間を食うんだ。だからどんなに早くても五時間、そうだな、朝七時にならないと完成しない。それに俺も一眠りしたいしな。だから一度帰ったほうが良いと思うぜ」 「そうか七時だな? それまで待っていよう」 「お、おい……」 「頼んだぞ」 彼女はにやりと笑い、去っていった。畜生、確信犯だ。仕事が全部終わるまで眠らせない気だ。やっぱりあの女は狐だ。女狐め。 毒づきながら自分の部屋に戻る。気持ちを切り替えてアクセサリー作りに入りたいのだが、あの女の事が頭にちらつく。 ならば――必要な材料と作業の為の道具を取りだし、頭の中に思い描く。最高のネコミミ。リアルで、それでいて可愛らしいネコミミ。愛玩動物的な心を呼び起こさせるようなネコミミ。あの女には絶対似合わないだろう愛嬌に溢れたネコミミ! ふはははははぁ! 完璧なネコミミを作り、一つの文句も言わせず、それでいて自分にいかに似合わないかを思い知らせてやる!付けて鏡の前に立ったとき、可愛らしいネコミミと凛々しい自分とのギャップにのた打ち回るがいい!落胆するがいい! メニューを呼び出し、デザインの設定に入る。全ては完璧なネコミミの為に。 革に一針一針、針を入れていく。別にシステム上どこに刺しても完成するのだが、そこは様々な噂やオカルトの飛び交うSAOのこと、刺す間隔の正確さと気合が結果を左右する、という根強い意見がある。 それについては俺も賛成で、特に今回は念を込めて縫っていた。 かわいいネコミミ〜、愛嬌のあるネコミミ〜、と、もしここの壁が現実世界の壁と同じくらい音が通ったなら、絶対病院を紹介されそうなくらい念を込めた。 そして何十針目を刺したとき、縫い合わせた全ての素材が眩く光り、じりじりと設定ウィンドウで設定した通りに、いやそれ以上の質感を持って変形していった。それは数秒かけて変形しきり、その姿を現した。 「……よし」 俺はその仕事に満足し、次の作業に入った。 作業がすべて終わり、肩のコリをほぐすように首を回した。 既に窓の外は明るく、窓を開けると朝一で狩りに出発するパーティーの賑やかな声が聞こえてきた。 流石に眠いが彼女の驚く顔が見たく、いそいそと商売品を持って昨日店を開いた場所に向かおうと部屋の扉を開けた。廊下に出ると階下から美味しそうな匂いがしてくる。丁度階下の食堂で朝の食事ラッシュが始まったらしい。それにつられて俺の胃も空腹を訴える。 そういえば昨日は忙しく動き回ったせいでまともに食事していなかったっけ。ならば俺が取る行動は何だ。――飯だ。 予定を変更して階下の食堂へと向かう。と言ってもどちらにしても食堂を通らなければ外に出られない造りの宿なのだが。 食堂に降りた俺は座る所を探して歩き回り―― 「なかなか早かったな。もう出来たのか?」 すぐ傍にいた彼女の凛とした声を聞いた。 彼女もテーブルに座り食事をしている。俺はその対面に座り、満足げな笑みを浮かべた。 「ああ、出来たよ」 テーブルの間を歩き回っているウェイトレスのNPCに食事を注文する。そんなに待たずに俺の食事もやってくるだろう。 彼女はしばらく俺の顔を眺めていたが、訝しげに話しかけてきた。 「出来たと言ったな? ならなんで出さない。持ってきていないのか?」 「いや、持ってきているけど、ここで出すって……いいのか?」 俺を名指しして注文する客、それは人には言えないものが欲しくて注文する客だ。今までずっとそうだった。彼女も俺を指名して注文した客なのだから、そういう客なのだと思っていたからこそ人のいない場所で渡そうと思っていたのだが。 「何か不都合でもあるのか?」 「いや、これを注文した事、知られたくないんじゃないの?」 「何故だ? アクセサリーは見せるからこそアクセサリーだろう? 隠すようなものなら初めから注文などしない」 俺は彼女と重大な齟齬があるような気がして、聞いてみた。 「じゃあ、俺の事を何と聞いて俺のところに来たんだ? 何故俺だったんだ?」 「おまえは腕は立つが変わったものを作ってばかりいる細工師だろう? 例えば学ラ……」 「わー! わー! 分かったからそう言う事を表で話すのは止めてくれ! ――つまり変なものばかり作っているっていう噂を聞きつけて来ただけって事か。それで別に訳有りで注文した訳でもないと言う事ね」 ようやく納得する。と同時に事件の事を聞きつけても彼女は差別しなかった事に気付く。 それだけあの『学生服事件』が風化したと言う事だろうか。それとも彼女が特殊なだけなんだろうか。 俺はネコミミを見つかるのを彼女が恐れていないと言う事が分かったので、アイテムウィンドウから注文の品を取りだし、彼女に手渡した。 「これが注文の品だ。注文通りかどうか見てくれ」 俺が手渡したもの、黒く柔らかな毛に包まれたネコミミとおまけのネコ尻尾。 それらをじっくりと、裏から表から耳の中まで観察していく。一頻り見終わったのか、ほう、と吐息を吐き、彼女は満足そうに微笑んだ。 「……良いネコミミだ。細部まで良く作りこまれている」 「だろう?」 俺もその言葉を聞いて充実感を感じ、笑った。 「ただ、……このネコミミ、時々動くんだが」 「それも仕掛けの一つ。この世界は物理法則で動いているわけじゃないんだから、揺れ幅なんかを素材で調整してやればまるで生きているかのように動くって訳。別にただ動きに合わせて揺れているだけなんだけどな。尻尾にも同じように仕掛けがしてあるから振ってみれば分かるよ」 彼女が尻尾を振る。するとそれに合わせて、または逆らう様にピン、ピン、と尻尾が動く。 なんだか楽しそうだ。おそらくこれをつけている姿を想像しているのだろう。 言うべきなのだろうか。彼女には似合わないという事を。 「……気に入った。買おう。幾らだ?」 「あー、えっと……」 言える訳も無く、料金を指定する。アクセサリーにしてはかなり高いが、それでも仕入れがただになった物が多いので安くした方だ。あの冒険で色々と余分に素材アイテムも手に入ったのでその分も差し引いている。 彼女は値切るわけでもなくその大金を指定し、トレードウィンドウのOKボタンを押してしまった。 少し罪悪感が残る。 「それでは世話になったな」 「ああ、ちょっと……」 言ってしまおう。言って作りなおしさせてもらおう。これはあなたに似合うネコミミじゃないと。あなたに似合うネコミミはこんな可愛いものじゃなくてもっとワイルドなものだと。 そのとき食堂の扉がばたんと音を立てて開かれ、一人の少年が転がり込んできた。 「リィジーさん! いつまで経っても帰ってこないから心配したんですよ!?」 「ヤロタ君!?」 頬を膨らませて怒っている少年に素っ頓狂な声を上げた彼女。彼女の名はリィジーと言うらしい。彼女はさっきまでの凛とした雰囲気はどこに言ったのか声が一オクターブ高くなっている。 「ヤロタ君心配していたんだ〜。お姉さん嬉しいよ〜」 「リィジーさん止めてください! こんな所で抱きつかないで! 大体お姉さんってなんですか、子供扱いしないでってあれほど――」 彼女は飛び上がるかのように立ち上がり、少年におもむろに抱き付き、ほっぺをすりすりしている。 昨日からの彼女のイメージを台無しにするでれでれとした彼女と、抱き付かれて嫌がっている少年を見た時―― 俺は全てを察した。 耳までかかる柔らかそうな髪、くりっとした愛嬌のある瞳、桜色の唇、見る人を和ませるような曲線の輪郭、華奢で小さな身体、そして彼女に抱き付かれて嫌がっている時のその表情……、ネコミミを付ける相手はこの少年なのだ。 美少年と言うと何かが違う。しかし姿、仕草、どこを取っても可愛らしいとしか言い様の無い少年。彼になら俺が精魂かけて作ったネコミミがまるで生えていたかのように映えるだろう。 「ああ、ちょっと……」 俺も立ち上がり、アイテムウィンドウから一つ商品を取り出して彼女の前に差し出した。 「これもおまけだ。付けてやれよ」 彼女は少年に見えない様にそれ――革製のチョーカーを受け取ると、何度も見たあのにやりとした笑みを浮かべ、ぐいっと親指を突き出した。俺も親指を立ててそれに返す。 ――ぐっじょぶ! ――おまえもな! 心で会話し、満足げにお互い頷いた。 「じゃあ帰ろうか、ヤロタ君。――ところでねぇ、ギルメン集めの秘策があるんだけど、ヤロタ君、協力してくれるよねえ」 「すいません……、リィジーさんがお願いしてくる時っていつも碌な事じゃないような気がするんですけど……」 「大丈夫、ヤロタ君の髪とか服装とかをちょちょっといじるだけだから、心配要らないよ?」 「嫌です、って言ってもやるんですよね……」 うんうん、やってくれ。 去っていく二人を見送りながら俺は一世一代の仕事をした気分になっていた。 似合う人がいる限り、絶対また作るぞ、ネコミミ。愛してる! (ソードアート・オンライン二次創作 『ネコミミの温度』 終) |