惨劇の目撃者 | 匡掩 さん作 |
歯と歯の間から、小さく息を吐き出しながら彼は剣を振るった。少々小柄な体に不釣合いなほど巨大な両手剣は、持ち主のイメージ通りにモンスターの頭部に突き刺さり、そのHPを削りきった。耳障りな悲鳴を上げながら砕け散ったモンスターに、見向きもせずに彼は再び歩き始めた。 彼はβテスター以外には少し珍しいソロプレイヤーだった。行きずりでパーティーを組む事は度々あったが、それ以外では常に一人で行動していた。最初の頃こそ、そのレベルの高さと実力から彼をパーティーに誘う者は多かったが、じきに全く来なくなった。彼の態度は実際酷いものだった。熱心に、誠意を尽くして勧誘する相手に対して、彼が取った行動は三段階に分かれていた。 まず最初に、無視。どんなに懇切丁寧に話しかけても徹底的に無視される。大抵の人はそこであきらめて帰っていく。だが、それでもあきらめない人も稀にいる。そんな人に対して彼は、罵詈雑言を浴びせかける。決して大声ではないが、小さくはない声で延々と続けられる悪口に、ほとんどの者は憤懣やるかたないといった表情で退散する。それでもしつこく勧誘した人がいたらしいが、その人は比喩ではなく頭から湯気を立たせながら帰ってきたという。何を言われた、もしくはされたかその人は全く語らなかったらしい。とにかく酷いものだったことは間違いない。一連の態度は、わざと人に嫌われようしているようにさえ見えた。 そうして常に一人で行動する彼だったが、HPが危険域にまで達したのは一度もない。それというのも、彼が慎重な性格を持っているからだった。彼は、迷宮に入る前には必ず下調べを完璧にし、装備を万全に整える。さらに、フィールドを歩くときでも腰のポーチに回復結晶や転移結晶をパンパンになるまで詰めておく。そうして、幾度も偵察をした後、ようやく迷宮の攻略を始めるのだ。彼は群れる事がないからその行動を見ているものはいないが、いたらまず驚き、そしてあきれるだろう。それほどまでに念の入った攻略だった。 そんな彼だから、今回の迷宮攻略も不測の事態は九割九分九厘ないと言い切れるような状態で行っていた。その証拠に、彼の顔は自信に満ち溢れ、むしろイレギュラーがないことへの退屈すら滲ませている様な表情である。そして、現れた敵は全て迅速かつ適確な、相手の弱点を知り尽くしていなければできない攻撃で屠っている。さらに彼は、少しでもトラップの臭いがする所には寄っていなかった。 そうして彼がまた一つ怪しい宝箱を無視して通り過ぎ、次の部屋で新しいモンスターと戦闘している時だった。先程通り過ぎた部屋からけたたましいアラームが聞こえた。と同時に、目の前で長い爪を振り上げていたモンスターが驚くべき速度で突進して来た。慌てて彼は横に避けたが、そのモンスターは彼を無視してさっきの部屋に走っていってしまった。 彼は一瞬不思議そうな顔をしたが、すぐに合点がいった表情に変わった。どこかの間抜けがアラームトラップに引っかかったんだな、と。そして、再び慌てて部屋の隅に駆けていった。 アラームトラップが発動したという事は、周りからモンスターが集まってくるという事だ。そしてその部屋に隣接しているこの部屋は通り道になる。つまり、この部屋にも一時的とはいえ大量のモンスターが押し寄せるのだ。そうして隅で縮こまっている事僅か数秒。かつて見たことのない量のモンスターがなだれ込んできた。 彼は驚いた。予想していたよりも遥かに多い数のモンスターだったのだ。これほどの数では、生半可なパーティーでは防ぎきれない。そのことを悟った彼は、しかし舌打ちして剣をその場でかまえた。部屋から溢れたモンスターが彼のもとへ向かってきたのだ。驚きで、僅かとはいえ硬直していた彼は、逃げる暇を失ってしまったのだ。 彼とて鬼畜ではない。手助けできるのならば引っかかった人のもとへ向かっただろう。まあ、助太刀する相手が一人なら、やはり勝ち目がないので逃げただろうが。それはともかく、彼も目の前に倒しても倒しても一体ずつこちらへ来るモンスターに手を焼いていた。流石に彼も、少し焦ったがすぐに落ち着きを取り戻した。冷静に対処すれば、処理しきれないわけでもない。 そう分かると、今度は隣の部屋が気になってくる。自業自得とはいえ人が死ぬのは気持ちがいいものではない。そのひどい態度から、彼はきっと殺人も好きに違いないと思っているプレイヤーもいるそうだが、勘違いにも程がある、と彼はひそかに腹を立てている。ただ人と接するのが嫌いなだけなのだ。度が過ぎる態度をとるだけで、自分は決して人の道を踏み外しているわけではない。そんな事を彼は考えながら戦っていた。 そうして彼は暫く戦っていたが、時折聞こえる人の悲鳴のようなものに嫌な汗を流していた。一刻も早く戦闘を終わらせ、部屋を覗かなければ。そんな思いに取り付かれながらも剣を振り続け、ようやくモンスターが来なくなったのは三人目の悲鳴と思しきものが響いた後だった。 彼はすぐに、しかし慎重に部屋に近付いていった。不用意に覗いてモンスターに押し寄せられてはかなわない。未だに金属音とモンスターの、あの耳障りな悲鳴が続いているので誰か生き残っている事は確かである。彼はモンスターの蠢くその部屋の入り口にゆっくりと身を寄せ、静かに中を覗いた。 そして戦慄いた。そこには、またも彼の予想よりも遥かに多い数のモンスターがひしめき合っていた。そして、そのモンスターの群れ、いやそれは塊といった方が相応しい程の数、それにたった二人で孤軍奮闘している姿があった。正確に言えば、一人の女の子が一人の少年に庇われている様な形だったが、その戦いは凄まじかった。 文字通り必死の形相で片手剣を恐ろしい速度で振り回し、モンスターを蹴散らしているのは黒衣の少年だった。その傍らで、少女が恐怖に身を強ばらせながらも、槍を振るっている姿は悲壮さをも感じさせるものだった。だが、その姿はいかにも儚く、今にもモンスターの波に飲み込まれそうであった。 そんな、今にも死にそうな二人を前に、彼は――-震えていた。そう、彼は動けなかったのだ、その重要な時に。彼がいれば助かったかもしれないのに、彼は動けなかったのだ。だが、誰もそのことで彼をせめる事はできない。想像してみればすぐに分かる。醜悪な怪物たちの背中でできた壁に突撃することの恐ろしさが。常人なら諸手を上げて、悲鳴を上げながら駆け去っていくところだ。踏みとどまれただけでも僥倖と言うべきだろう。 しかし彼は後悔した。懺悔した。臍を噛んだ。なぜなら彼が硬直している間に、その少女が斬殺されたからだ。 彼は逃げ出した。自分の弱さに憎しみすら覚えた。何故あそこで動けなかった。そう激しく自分に問いかけるも答えは一つ。 ――-己が脆弱であるから。 どこをどう走ったのか、いつの間にか自分のねぐらに戻っていた彼は、そこで激しく慟哭した。今まで人に異常なほど冷たい態度をとってきたのは、自分の前で人に死なれたくなかったからだ。今日まで、それは巧くいっていたというのに。 彼は泣き続けた。目の前で少女を斬られた、黒衣の少年の痛嘆の表情が目に付いて離れなかった。彼は泣き続けた。 彼は強くなると誓った。もう二度と目の前で人に死なれないために、強くなると誓った。その誓いは絶対となった。 そして彼は再び黒衣の少年と邂逅する。アルヴヘイムオンラインというゲームの中の、世界樹の中で。しかしそれはまた別の話。 |