The Great Fall Rhapsody 〜 偉大なる滝の狂詩曲 〜左馬 さん作








「あのダンジョンにはな、まさに天地をひっくり返すお宝が眠っているのじゃよ」

 第51層主街区ミリゼンタ。西空の彼方、塔の方角を指して老NPCのガロン爺さんはのたまったそうだ。
 その3日後、俺はティアからギルドパーティの振り替えメンバーとして呼ばれた。

 今、目前にそびえ立つ乳白色の塔は『グレートフォール』。
 偉大なる滝、という名前だった。



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 SAO二次創作 < The Great Fall Rhapsody 〜 偉大なる滝の狂詩曲 〜 >

 presented by 左馬(hidari-uma)



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#1

 本日のアインクラッド第51層は絶好の快晴、ダンジョンにうってつけの日和。こんな日にインドアで時間を潰すとは、なんて素晴らしい贅沢だ。風が樹々の梢を揺らす中――正確にはランダムに設定された風ユニットがフラクタルな枝オブジェクトに干渉してカルマン渦流に巻きこんでるんだが、まあどうでもいいな――俺たちはたいした苦労もなく入口の庭園に辿り着いた。
 年季の入った石材が散らばる風化した宮殿遺跡風の庭園の奥、岩山に穿たれた洞窟は、ぽっかりと虚ろな顎を開けて俺たちを誘う。曲がりくねり、幾重にも路別れしたトンネルを抜けると、いま俺たちが見上げている塔の隠された扉へ通じるはずだ。なぜ塔に直接乗り込まないかって? 入れる場所があるならそうしてるさ。空へ、いや灰色の天井へと伸びる乳白色の塔『グレートフォール』はその基礎部、根元の階をまるごと岩山に埋めてしまっている。だから、洞窟を通じてしか到達できない。さらに、先細りの六角柱をした塔にはいっさい窓がない。頂上は、水晶のように閉じている。陽を七色に照り返す滑らかな外壁からは、窓の代わりに湧水口があちこちで滝を零している。登攀スキルを完全習得してもあれを登りきるのは無理だ。遠目にはちょっとした観光地風のオブジェで、記録結晶で記念写真を撮っていく連中が背景にチョイスするほど。だが、たしかに美しいが高々30メートルかそこらで『グレート』は言いすぎだろう。というと、じゃあどんなのならグレートなのか、とティアに聞かれた。
「紅玉宮から、100層貫いて流れ落ちる滝ならグレートと呼びましょう。連呼してもいいです」
「アーベル兄さん……それは無い物ねだりじゃないかな。? ねぇ、あれっ、何か文字書いてない? ほら」
 ティアの指先を追うと、庭園の入口、蔦の這いまわる赤煉瓦造りのアーチには、鈍くくすんだ銀色の表札が掲げられていた。英語だ。
「"Don't sit on a wall"……ですか?」
 眼鏡を鼻に押し上げ、読んでみる。言葉はわかるが、意味はわからない。
「え〜と……『壁に座るな』ってこと? touchならともかく、壁には最初から座れないと思うけど……そんな諺あったっけ?」
 ティアに聞かれたが、俺は知らない。確かなのは、ここに謎めいたプレートがあるなんて事前の情報にはなかった、という一点だけ。
「気にしすぎだよ、ティア。せっかくアーベルさん来てくれたんだしさ、日が暮れる前にクリアしちゃおーよ!」
 コタロウがぴょんぴょん跳ねて急かす。ほんとはお前幾つだよ。短剣使いだが、下手をすると腕より武器の方が長い小柄な子だ。ほっとけば一人で勝手に奥へ突っ走っていき、罠にかかって戻ってこない勢いだ。う〜ん。是非ほっときたいね、と我ながらダークな方向に傾く思考を何とか抑える。
「待てコタロウ、焦りは禁物だ。一度クリアされたサブダンジョンとはいえ、お主が立てたフラグで条件が変わってるかもしれぬ。これとて重要な情報かもしれん。ボス部屋の扉に似たようなプレートがあったそうだしな。アーベル殿、すまぬ」
 コタロウの首根っこを掴んだ俺に、刀鍔に手を添えつつ、ブラフォードが気を遣う。
「や、いいですよ。今日も私は、保護者の役回りですので」
 パーティリーダーに片手を挙げて応えると、もはや習慣で無意識にティアの周囲に目を配る。パーティの紅一点、金の長髪に淡空色の眼が似合うティアは、要所を鎖で防御した革鎧、左腕に固定されたアームシールド、研ぎ澄まされたチャージスピア、と凛とした出で立ち。使い魔のウィングキャットが肩に止まり、円らな眼で辺りを見回している。と観察していると、視線がハルキと合う。
(別にアンタは来なくて良かったのに)
 と口には出さなくても言ってるも同然だ少年。ぷいとそっぽを向き、そのくせティアの横からは離れず、ポールアクスを肩に懸けて黙々と装備を確かめている。思考がわかりやすくてたいへん結構なことだね。その意気でティアをしっかり守れよ。
「隊列を組むぞ。各員、ステータスとアイテムを確認せよ。特に転移結晶は必ず実体化しておけ。良いか? では出発だ」
 ブラフォードの号令で、ギルド〈ミストラル〉の面々とその他助っ人1名――つまり俺は洞窟へと踏み込んだ。

 既にクリアされた『グレートフォール』は「涸れた」ダンジョンか……というと少し違う。事前に情報を浚った攻略組は、迷宮区クリアに関係なさそうと知るとあっさり探索を打ち切って迷宮区に専念、やがて上層に去った。次に訪れた中層プレイヤーたちは義理堅く一通りマッピングを済ませて、手堅くボスを倒したが、レアアイテムのレの字も見つからなかった。フラグの検証も行われたが、結論は出ていない。もし多層型のスイッチで上層に未発見のフラグがあるなら、攻略を進めるのが唯一の手だ。クリスマスボスのように時限型なら、なおさら時期を待つしかない。本来は――茅場の手でデスゲームにならなければ――やりこみ要素の強かっただろうSAOだから様々な可能性が捨てきれないのだが、先日解決された上層の白竜討伐クエストとは違って、『グレートフォール』のクエスト目標は未だはっきりしない。果たしてただの習作サブダンジョンなのか、それともまだ見ぬフラグがあるのか、誰もが二の足を踏んでいた。
「ね〜、いつになったら次のエリアにつくのさ〜? ボク疲れちゃったよ〜」
「戦闘の最中に無駄口をっ! 叩くな!」
 ブラフォードのカタナが一閃し、飛び出てきた〈キラーフィッシュ〉を耳障りな音と共にポリゴンの屑に還した。コタロウは悪びれもせず、隊の中央に引っ込んだ。洞窟内でも通路脇には川がゆるゆると流れ、天井や壁からは通路を横切って清冽な水流が迸っていたりする。『水の迷宮』、それが『グレートフォール』の別称だ。VRで水など流体を表現するのはSAOの不得意分野のはずだが、このサブダンジョンでは他と比べても明らかに質感が異なり、透明な飛沫は本物そっくりだ。通路に水が零れれば、岩肌は濡れて滑りやすくなり、やがて時間がたつと染みて薄くなり元に戻る。このダンジョンだけ試験的にバージョンアップした流体プログラムを採用しているのかもしれない。だが取りあえず背後のシステムに思いを馳せるより、水流からパーティへ向かい飛び上がってくる文字通りの雑魚モンスターを退治する方が先だ。キラーフィッシュは群をなして、各個体がタイミングをずらして襲ってくる。可能性は低いながら、鋭く長い歯を急所に喰らうとHPの一割ぐらいは持ってかれる。一撃で撃破できる敵なので読み切れば連続技の的だが、性質の悪いことにキラーフィッシュは色ごとに微妙にリズムを変えてくる。さらに一度に何色もの連中が飛んでくるともう……昔こんなゲームあったな。命はかけなかったけど。
「青、赤、黄! 青! 赤、青! 黄! あっ……ぐっ、緑?」
 前でブラフォードのカタナとスクウェアシールドを突破し、後ろでハルキのポールアクスを掻い潜ってくる素早い敵は、俺が受け持つ。他の連中から一人だけレベルが突出している俺の役割は、リーダー以外の3名――中後衛のカバーリングだ。

《盾スキル:防御技――〈受け流し〉98% 発動 成功》

 緑色の尾びれが、カイトシールド『サンクチュアリ』を弾いて流れへ消え、再びジャンプしてくる。他の連中が倒せるモンスターは決して倒さない、それが俺から申し出たパーティ参加条件だった。経験値を譲るのは、高レベルプレイヤーが下層でプレイする際のマナーだ、と。ブラフォードは別に構わないと言ってくれたが、ティアとティアを守るパーティが強くなってくれないと俺も困る。だから、俺は弾いて弾いて、ひたすら防御に集中した。通路に落ちた魚が跳ね、コタロウが〈ラピッドバイト〉で仕留めそこなった分はティアが〈クロスポイント〉で串刺しに片をつける。よしよし。ときに大ジャンプを敢行して真上から降ってくる奴もいるが、俺はちらりと見て軌跡を予想すると無視。ハルキを噛もうと鋭い歯を剥いた紫魚は、しかし空中で待ち構えていたウィングキャットが「みゃ」と一声鳴いて、ぺしっ、と横殴りに叩くと、身を捩らせてあっけなく砕け散った。
「いい子ね、ウェルス!」
 ちぇ。ちょっとは期待したのに。まあティアの使い魔の経験値になったし、いいか。そんな調子でおおむね順調に進んだ。それもそのはず、マップには通路からモンスターにシークレットドア、罠仕込みのトレジャーボックスがどんな風に出現するかまで至れり尽せりに網羅されている(もちろん美味しいアイテムは回収された後だ)。SAOで大切なのはレベルでもステータスでもない、情報こそが全てだ、と言ったのは誰だったろう? 最短ルートで洞窟を上がり下がりしていると、オレンジ色の照明が見えてきた。中途休憩地点の安全エリアだ。まだ皆のHPバーはイエローに程遠い。

(#2へ続く)