現実と幻想の境界陽里 さん作





「それで、相談とはなんだ?」
 容赦ない夏の日差しがアスファルトを焼くのを冷房の効いた喫茶店の中から眺めながら、俺はテーブルの向こうの友人に向き直った。
「このことは絶対に誰にも言うなよ」
「当然だ。俺が友人の秘密を他人に話すほど不出来な人間だと思うか」
 どうでもいいけどコイツって難しい喋り方するよなぁ。などと本当にどうでもいいことを一瞬考えたが、すぐに気を引き締め直して口を開く。
「実はさ・・・・・・俺、恋してるんだ」
「ほう、いいことではないか。恋というものは愛と違ってしようと思ってできるものではない。いい経験ではないか。で、誰にだ」
 この一見真面目そうに見える友人もやはり人並みに興味はあるらしい。ずれた眼鏡を直しながらもその奥の瞳が好奇心に光っている。
「その子はさ・・・・・・ゲームのキャラなんだ」
「・・・・・・」
「待て! 引くな! 無言で立ち去ろうとするな!絶対お前の考えてるのと違うからな!」
 だから頼むから帰ろうとしないでくれ!
「安心しろ・・・・・・俺は例えお前がどんな趣味を持っていたとしてもお前の友人だ。だからもう少し離れてくれないか」
「だから違うっての! ゲームのキャラって言ってもオンラインゲームのキャラだよ! ちゃんと人間相手だって!」
「む、あ、ああ、そうか。オンラインゲームのキャラか。すまんな。取り乱した」
 そういって眼鏡を直しながら。再び椅子に腰を下ろす。にゃろう、今マジで逃げるつもりだったな。
「何だったかな。お前のやっているゲームは。確か、アラブオイル・オンラインだったか。石油王を目指すゲームだったな」
「違うっ。なんだその胡散臭いタイトルは!?アルヴヘイム・オンラインだよ」
 どうやら目の前の友人はまだ少々混乱しているようだ。
「まあ、とにかくお前はそのゲームのキャラに恋をしているというわけか。で、具体的に何を聞きたいんだ?」
 三度眼鏡を直す。それだけで、目の前にいるのはいつもの冷静沈着な友人に戻っていた。
「いや、さ。告白した方が、告白してもいいのかな・・・・・・ってさ」
「ふむ。もしお前が本当に真剣にその子を好きだというのなら、告白すること自体は別に悪くはあるまい。だが、な」
 そこで一旦言葉を切ってしっかりと俺の目を見据えてくる。その眼は真剣そのもので、本当に俺のことを考えてくれているということが伝わってくる。
 だからこそ、こっちも相談する気になったのだが。
「お前が好きなのはそのゲームのキャラか?それとも、その向こうにいるプレイヤーか?」
 思いもよらない言葉に一瞬息がつまる。友人の言葉は続く。
「もしもだ。お前とその彼女が付き合ったとしよう。そして、実際に会おうということになった時、失礼な話だが、不細工だったらどうする?
 お前はその後も彼女と付き合っていけるのか?」
「それは・・・・・・」
 何も言い返せない。だけど当然だ。ゲームのキャラとリアルで顔が違うのなんて当たり前のことで、今、俺が恋をしているのはゲームのキャラだ。
 その恋をしている理由の一つに、彼女の容姿が入ってないと言ったら嘘になるだろう。
「それに、だ。俺たちはまだ中学生だ。よくはわからんがそういったゲームをするのは大人の方が多いのだろう?年齢の差というのも十分考えられる」
 そういうお前の喋り方はぜんぜん中学生っぽくないけどな、とは心の中だけで呟いておく。
「とにかく。今のまま告白しても、相手にも失礼だろう。ゲームキャラとしての彼女か、プレイヤーとしての彼女が好きなのかよく考えてみるんだな」
「そう、だな・・・・・・。まったくその通りだ」
 やはりこの友人は頼りになる。おかげで考えることが一つ増えてしまった。
 『彼女』を好き、という気持ちに間違いはないけど、はたして俺が好きなのはゲームキャラの彼女なのか、リアルの彼女なのか。これは、大きな問題だな。
 ため息が一つ漏れる。窓の外に目をやれば、相変わらず夏の日差しがアスファルトを焼き続けている。ゆらゆらと揺らめく陽炎はまるで俺の気持ちのようだ。
「・・・・・・あれ?」
 今、揺らめく景色の向こうに一瞬ありえないものを見た。いや、見ている。
「? どうした?」
 俺の視線の先を歩いているのは、あのさらさらの黒いショートヘアは、あのつぶらな瞳は、見間違うはずもない。だって、彼女は。
「シリカ・・・・・・」
 俺がアルヴヘイムオンラインの中で恋している少女、シリカ。その彼女が、まるでゲームから抜け出してきたかのように俺の目の前を歩いていたのだ。


現実と幻想の境界
陽里 著


「リンク・スタート」
 一言呟くだけで俺の意識は肉体を離れ、幻想の世界へと舞い降りる。
 目を開ければそこは既に見慣れた、イグドラシルシティの宿屋の風景だ。
 手早く装備と荷物を確認し外へ出れば、空には既に煌々とした月と巨大な浮遊城が仲良く肩を並べていた。
「翼に神経を伸ばすように・・・・・・」
 以前パーティを組んだメンバーから聞いた言葉を思い出す。
 俺は最近やっと補助コントローラ無しで飛行が出来るようになった。もっとも、集中が切れたりするとすぐに制御を失ってしまう程度なのだが。
 目を閉じて敏感な指先から感覚を辿っていく。指から肘へ、肩へ、肩甲骨へと意識を移し、そして本来人間にはありえない翼へとゆっくりと感覚を這わせる。
「んっ・・・・・・」
 ついに翼の先端へと意識を伸ばし終わると、翼はひとつ身震いをしてはばたきはじめ俺の体をふわりと空へと浮かび上がらせた。
 そのまま右へ、左へと旋回させて自分の意思どおりに翼が動いてくれることを確かめる。
「とりあえず【城】に行くか」
 【城】、浮遊城アインクラッドはプレイヤーの間では簡単にそう呼ばれている。
 春頃に実装されたそこは今最も盛んに攻略されているエリアであり、同時に今最も人が集まる場所でもある。
 街あり、ダンジョンあり、クエストあり、おまけにフロア毎にボスまで配置されているとあってはプレイヤーが集まらないはずがない。
 コアなプレイヤーの中には実装以来城に篭って地上に降りてこないという者も少なくない。
(とりあえず【城】にいって誰か暇そうなヤツでも探すか)
 翼をより強くはばたかせて空の彼方に浮かぶ城目掛けて上昇する。
 建物が小さくなり、街が小さくなり、逆に月がどんどん大きくなる。空を飛ぶ、ということがこんなに気持ちのいいことだとはこのゲームを始めるまでは知らなかった。
 当然だ。人に翼はないのだから。
 こうして空を飛ぶ楽しさを知った今、過去に多くの人間が空に憧れた気持ちもよく分かる。
 そうして生まれた飛行機ではあるが、それを生み出した彼らも本当は生身で空を自由に飛びたかったんじゃないだろうか。
 そんなことを考えながら俺はどんどんと高度を上げていく。既に城は目の前だ。
 でかい。ただその一言に尽きる。百層からなる城を抱えた大地は、一体どのような原理で空にその身を保っているのか。
 まあ、ゲームでそういうことを考えるのも無粋ってもんか。
 自分で自分の考えに苦笑しながら上昇を続ける俺の肩に何かが当たったと思った瞬間、突然の衝撃が俺を襲った。
「がっ!?」
 上から下へ、目まぐるしく変わる景色に頭がついていかない。ただ、HPバーが減ったことだけは理解できた。
(一体何が!?いや、まずは体勢を整えなきゃ・・・・・・)
 たっぷり五秒ほどしてからようやく自分が落下を続けていることに気づき、再び翼を震わせるべく腹に力をこめる。
 が、翼はぴくりとも動かなかった。
「あ、あれ?」
 もう一度、今度は息を止め、さらに力を入れて翼を動かそうと試みる。
「くそ!なんでっ、翼が!」
 落ち着け!まずは神経を翼に伸ばすように!動け!動け!うご・・・・・・
「うわあああぁぁ!」
 おちる、落ちる、墜ちる!
 さっきとは逆に、月がどんどん小さく、遠くなる。この高さから墜落したら、多分、いや、確実に死ねる。
 いまだに落下を続けながら、せめて、と思い月に向かって手を伸ばす。――何がせめて、なのかは自分でもよく分からなかった。
 そして、俺は見た。月から天使が降りてくるのを。
 翼を鋭角にたたみ、まっすぐ俺に向かって舞い降りて、いや、弾丸の如き速度でこちらに落ちてくる天使。
 月が逆光になって顔はよく分からないが、体の大きさから女の子ということは分かった。まあ、だからこそ俺も天使、なんて思ったのだけど。
 彼女はあっというまに俺の目の前までやってくると、空に伸ばしていた俺の手を掴み、同時に翼を目いっぱい広げて激しく震わせた。
 落下スピードががくんと、文字通り俺の体を揺らすと共に、目に見えて遅くなる。
「大丈夫ですか?」
 頭上から聞こえた声は今まで聞いたどんな声よりもやわらかかった。

 これが、鈴を転がすような声ってヤツか、先生。などと、俺は先日の授業で習ったことを意味もなく思い返していた。
「ああ、ありがとう。助かった・・・よ」
 自分を助けてくれた相手を見て、俺は言葉を失った。
 肩で切り揃えられた黒髪と、同じ色の瞳。やわらかそうなネコミミと、ゆらゆらと動くしっぽ。なにもかもが、俺にクリティカルヒットだ。
「じゃあ、とりあえずこのまま地上に降りますね」
「あ、うん」
 などと俺はまぬけな返事を返すしか出来ない。
 そうして俺は彼女に連れられて地上に舞い戻ったのだった。

「最近【城】のまわりに嫌がらせで【マイン・トラップ】を仕掛ける人が多いんですよ」
 困ったものですよね、と彼女は頬を膨らませて言った。ついでに、彼女の肩で小さなドラゴンも身を震わせて怒りを露にしている。
 【マイン・トラップ】とはインプ族が得意とするトラップスキルの一つで、空中へ接触することにより爆発する機雷を仕掛けるスキルである。
 ダメージはそれほどでもないが、激しい衝撃でプレイヤーを混乱に陥れるトラップだ。
 旧世代のモニタ越しに操作するMMOゲームと違い、体感型であるからこそ非常に大きな効果をプレイヤーに与える悪質なトラップなのだ。
「それじゃ、私は行きますね。おいで、ピナ」
 彼女が一声かけると空から小さなドラゴンが舞い降りて、ピィと鳴いて彼女の肩にとまった。青くやわらかそうな羽に身を包んだ、ぬいぐるみのようなドラゴンだった。
「上のマイン・トラップは片付いた?」
 その問いかけに小さなドラゴンは誇らしげに鳴くことで応えた。
「城の周りのマイン・トラップは片付けておきましたから、もう大丈夫だと思います」
 それでは、と彼女は軽く会釈をして飛び去っていってしまった。
 彼女と出会ってからのたった数分。それだけで、彼はもう彼女のことが忘れられなくなっていた。
「あ、名前聞くの忘れた・・・・・・」
 それが彼、シルバこと角田銀太の初恋だった。銀太、中学2年生のことだった。


「はあ・・・・・・」
 もはや今日何度目かわからないため息をつくと、俺は視線を窓の外に戻した。
 ここは先日シリカ――のそっくりさんかもしれないが――を見かけた喫茶店だ。俺が一人でこんなところにいる理由は、一つだ。
 もう一度彼女を見つけるため。そのために前回と同じ時間からずっとここで窓の外を眺めている。
 彼女はどこのかは知らないが制服を着ていた。と、いうことはおそらくこの近くの学校に通っているのだろう。だったら、またここを通る可能性は高い。と、思う。
「なんてことを考えながらもう夕方・・・・・・はぁ」
 またため息が一つ。
 本当は会える可能性の方が少ないということは分かっている。
 制服を着ているとはいっても電車に少し乗れば学校なんていくつでもあるし、あの日だってたまたま街に遊びに来ていただけかもしれない。
 そもそも、シリカに恋焦がれる俺が単に見間違えただけかもしれない。
「やっぱり、見間違いかなぁ。ていうか、普通はそうだよな」
 なんせ、シリカはゲーム内のキャラなのだ。そのキャラと同じ顔をした人間など現実(リアル)にいるわけがない。
「帰ろ・・・・・・」
 のろのろと支払いを済ませて店の外へ出る。途端にもわっとした夏の夕方独特の空気が俺を包む。
「あっちぃ・・・・・・」
 思わず呟いてしまう。結局今日一日無駄骨だった・・・・・・な。
「あ・・・・・・」
 何気なくやった視線の先にいた。彼女が、いた。
「シリカ・・・・・・シリカっ!?」
 いた。いた! いたっ!
 俺は思わず駆け寄ろうとして、立ち止まった。
 いったいどうやって話しかければいいんだ? まさか『シリカさんですか?』などとバカ正直に訊ねるわけにはいかない。
 そもそもがゲームのキャラなのだから絶対に目の前のシリカのそっくりさんとは同一人物であるはずがないのだ。
「というか俺は彼女を見つけてどうするつもりだったんだっけ」
 そうやって首を捻っている間にも彼女は先へ先へと歩いていく。とりあえず、追いかけながら考えよう。

 彼女は人通りの多い道から人通りの少ない道へ。俺もその後に続いて細い道を歩いていく。
 あれ? もしかして俺ストーカー?
 などと今の自分の姿に一瞬絶望しかけたがそれでもなんとか挫けずに彼女の後を尾けていく。
 やがて、彼女は一軒の建物の前で足を止め、その中に迷いもなく入っていった。
 完全に扉が閉じたのを確認してから俺もその扉の前に立つ。
『DICEY CAFE』
 でぃせいカフェ。どうやらこの店に入っていったようだ。さて、どうしたものか。いや、どうしたもこうしたもないか。入るだけだ。
 どうやらここは喫茶店みたいだし、別に俺が入っていってもおかしくないよな?
  尾けていたとかばれないように、あくまで自然に、ふとコーヒーの匂いに誘われたという風を装って。
 ・・・・・・ってどんなだよっ! わかんねぇ! 俺コーヒーは砂糖とミルクたっぷり入れないと飲めないのにそんな演技できるかってのっ。
「落ち着け・・・・・・俺」
 そうだ。とにかく自然に入ればいいんだ。入ってしまえば後はどうとでもなる。
「よし!」
 覚悟完了。俺は木製のドアに手を掛け、自然な動作で押し開けるとこれまた自然な動作で手近な席に・・・・・・。
「うおっ」
 近くの席に座ろうとした俺はカウンターの向こうにいるマスターを見て思わずビビッてしまった。
 外人だ。この喫茶店外人がマスターだ。やべぇ。俺やべぇ店に入っちゃったかも。俺英語できないのに。あれ? でもこのマスターどこかで見たような・・・・・・。
「いらっしゃい。お客さん驚いた顔してるなぁ」
 顔、というか体つきを含めてどう見ても外人なのだがこのマスターは意外に見事な日本語で話しかけてきた。
「ハハハ。初めて来る人はだいたい俺のこと見てキミと同じような顔をするんだよ。ま、初めてきてもちっとも驚かないヤツもいるけどな」
 マスターは白い歯を見せて楽しそうに笑った。
「エギルー。お客さんー?」
 その時、店の奥から女の子の声が聞こえた。いや、それより今聞こえたエギルという名前、おそらくこのマスターの名前だろうが、聞き覚えがあるような。
 俺はエギル、エギルと呟きながら声の聞こえた店の奥の方へ歩いていく。
 店の奥から聞こえた声が気になったというのもあるし、ここから見える範囲にあのシリカ似の彼女の姿は見えなかったからだ。
 だから、その奥の席を覗いたとき俺は本当に驚いた。
「なっ!」
「んー?」
 俺の驚きの声にそこにいた一団がいっせいにこちらを見る。
「アスナ・・・・・・」
「えっ!?」
 俺が思わず呟いた名前に驚いたように反応する髪の長い女の子。いや、俺より年上っぽいから女の人か。
「なに?アスナぁ、知り合い?」
「リズベット・・・・・・」
「ええっ!?」
 さっきの女の人と同じように驚く肩口で髪を切りそろえた女の子。
 いったい、どうなってるんだ。俺はいつの間にALOにログインしたんだ?
 後ずさる足がふらつく。俺はそのまま後ろにあった椅子に座り込んでしまった。
「ははあ、お客さん、もしかしてALOプレイヤー?」
 そんな俺にこの店のマスターがにやにやと、楽しそうに話しかけてきた。
「エギル・・・・・・そうだ、斧使いの、ぼったくり商人エギル・・・・・・?」
「そのとおり」
 ぼったくりは余計だ。といいつつマスターは、エギルは頷いた。
「いったいどうなってるんだ・・・・・・俺はゲームの世界に迷いこんだのか?」
「いやいや、ここは現実さ。大丈夫か?」
 そういって俺の前にコップに入った水を差し出す。俺はそれを受け取ると一気に飲み干した。今まで気づかなかったが酷く喉が渇いていた。
 そして、改めてそこにいた面々の顔を見回した。
「バーサークヒーラー、アスナ」
「もうっ。だれがそんな風に呼び始めたのっ」
「桃色の鍛冶職人、リズベット」
「何かそれすっごいHっぽいんだけど・・・・・・」
 そして・・・・・・。
「可憐なる竜使い、シリカ・・・・・・」
「あ、え、か、可憐なんて、そんなことないですよ」
 奥に男の人が一人と女の人が二人いたけど彼らが誰かはわからなかった。
「本当に、あの・・・・・・いや、でもどうして・・・・・・」
 ゲームのキャラクターと同じ顔なんだ?その疑問で頭がいっぱいで他のことが考えられない。
「いやいや、まさかALOのプレイヤーがこの店に来るとは。なあキリト?」
 店のマスター、エギルは楽しそうに奥の男の人、キリトさんに話しかけていた。
「まあ、こういうこともあるだろう。なんせゲームと同じ顔をしてるんだからな」
 俺にはこの二人の会話の意味がまるでわからなかった。わかることは店のマスターがエギルで、奥にいる男の人がキリトという名前であることだけだ。キリト?
「あの、もしかしてキリトって、あの『黒衣無双』のキリト、さんですか?」
 思わず敬語に。
「どう呼ばれてるかは知らないけど。多分そのキリト、だよ。ちなみにこっちの二人はリーファとシノン。知ってるかな?」
「ま、マジっすかっ! うわ、すげぇ。知ってるも何も、俺、ファンなんですっ」
 思わず変な敬語に。
「それにしてもよくここがわかったね。偶然?」
 そんな俺を目を細めて笑いながらアスナ、さんが聞いてくる。うわ、ゲームの中でもそうだけどやっぱり美人だ。
「あ、いえ、街でシリカ、さんを見かけて、つい気になったから」
「後を尾けて来ちゃったの?」
 今度はリズベット、さんだ。ゲームではピンク色の髪だけどリアルではやっぱり普通の髪の色だった。やっぱり美人、だけど。
「は、はい。あ、いや、そうじゃなくて、決して尾けてきたというわけじゃ・・・・・・」
「それくらいにしといてやれよ。街ン中でゲームのキャラクター見つけたら気になって追っかけてもしかたないだろ。な?」
 大きな体を揺らしながら笑って助け舟を出してくれるエギル、さん。見た目は怖いけど結構いい人みたいだ。
「そ、そうなんです。シリカ、さんにはこの間ゲームの中で助けてもらったから気になってたっていうか」
「え、そうなんですか?」
 と、きょとんと首を傾げて俺の方をじっと見るシリカ。やべぇ。可愛い。本当に可愛い。ゲームの中より数倍可愛いよ!
「そ、そうそう。覚えてないかな?【城】の近くでマイントラップに引っかかったところを助けてもらったんだけど」
 彼女はちょっと考える仕草をした後すぐにああ、といって手を合わせた。可愛い。
「あの時の!」
「そう、あの時の。よかったぁ、覚えててくれたんだ」
 彼女が俺のことを覚えててくれたのが本当に嬉しい。というか目の前の彼女が可愛い。ダメだ。さっきから俺可愛いばっかりじゃないか。
「ふふ〜ん」
「なるほどね〜」
 リズベットさんとアスナさんがなにやら頷きあっている。
「ま、そりゃ確かに気になって追っかけてきちゃっても仕方ないかぁ」
「そうだね〜。うんうん。仕方ないね」
「? どうしたんだ二人とも?」
「もう、お兄ちゃんてば鈍いんだから」
「まあ、キリトだしね」
 などと後ろの方々は勝手に納得されたようだ。
「あ、そうだ。そういえばどうしてゲームと同じ顔・・・いや、どうやってリアルと同じ顔したキャラを・・・・・・」
「そのことについてはちょっと説明が長くなるんだ」
 今までずっと気になっていたことを聞いたとき、突然キリトさんの顔が険しくなった。
「ま、それは今度あった時にじっくり教えてあげる。ほら、時間大丈夫?」
 急に重くなった空気を振り払うようにことさら明るい声でリズベットさんが話しを打ち切った。
「え?あっ、もうこんな時間っ。やべっ」
 時計を見れば既に夕方と呼べる時間はとっくに過ぎていた。このままでは母さんに怒られることは確実だろう。
「だから、その話はまた今度ね。帰り道は分かる?」
「あ・・・・・・」
 シリカを追いかけるのに夢中で道なんてまるで覚えていない。そのことを見透かしたようにリズベットさんはにかっ、と気持ちのいい笑顔を浮かべた。
「それじゃあシリカ、駅まで送っていってあげなよ。年も近そうだし、ちょうどいいでしょ」
「え、あ、はい。いいですけど」
「それじゃー今日はお開きっ。キリト君、支払いよろしくねー」
「俺が払うのか・・・・・・。はいはい。わかりましたよ」
 あの黒衣無双のキリトさんが尻に敷かれている・・・・・・。俺はすごい光景を見ているのかもしれない。
「さて、外に出ましょうか」
 そういって俺の肩を押しながらドアの方へ向かうリズベットさん。みんなからちょっと距離が開いたところでそっと俺に耳打ちをした。
(ガンバレ、しょーねん)
「えっ!?」
「さ、暗くならないうちに早くかえりなさーい」
 俺が驚く暇もなく俺とシリカはALO有力プレイヤー達に見送られていた。
「えっと、じゃあ、駅までよろしく」
「は、はい」

「・・・・・・」
「・・・・・・」
 昼間の熱気が残る街をシリカと二人で並んで歩く。彼女もいきなり会った男と並んで歩くことに緊張してるのか黙ったままだ。
 ・・・・・・なにか喋らなければ。せっかくリズベットさんが作ってくれたチャンスなんだ。
「あ、あのさ・・・・・・」
「は、はい・・・・・・」
「この間は本当にアリガトな。助かったよ」
「いえ、大したことじゃありませんから」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
 それきり会話は終わってしまった。ああっ、くそっ、俺にもっと小粋でナウいトークのセンスがあればっ。
「あ、あの」
「え?」
 くだらない考えにハマっていたところに控えめに彼女から声がかけられた。
「名前、なんていうんですか?」
「名前? あれ、言ってなかったっけ?」
「はい」
 そういえば、店に入ってから名前を言った覚えはないな。ゲームの中でも名乗る前に分かれてしまったし。
「そっか。えっと、俺、角田銀太。ALOでの名前はシルバ。中学2年生」
「私は、知ってると思うけどALOでの名前はシリカ。本名は綾野珪子です。高校1年生です」
「えっ、俺より年上、なんだ。っあ、ごめん・・・・・・」
「あ、いいんですよ。背がちっちゃいのは分かってますから」
 彼女は全く気にした様子もなく笑った。どこか悲しげでもあるその笑顔に、俺は心臓が早くなるのを感じた。
「ところで、シルバさん、あ、銀太さんって言った方がいいのかな」
 俺がどっちでもいいよ、というと、じゃあシルバさんって呼びますね。と小さく微笑んだ。
「私達の名前、似てますよね」
「え?」
 似ている?名前が?銀太と珪子?それともシルバとシリカ?後者の方はどことなく似ている気がしないでもないけど。
「あ、名前の付け方が、ってことです。多分ですけど、シルバさんの名前も本名の『銀』から取ったんですよね?」
「うん」
「私のシリカっていうのも名前の『珪』から取ったんですよ」
「ケイ?」
「あ、珪素の珪、って言ってわかるのかな。その珪素はシリコンとも言うんですけど、そのシリコンからとって、シリカ」
 ああ、なるほど。納得するとともに、失礼な話かもしれないけど俺はシリコンと聞いて胸に入れるシリコンを想像してしまった。
 ちらりと隣の彼女の一部分を見る。俺の想像とは程遠いかも。
「なるほど。似てるね」
「でしょう?」
 彼女の笑顔につられて俺も思わず笑顔になる。彼女との意外な共通点が見つかったことに嬉しさがこみ上げてきた。
「なんか、こういうのって嬉しいですよね」
 嬉しい。彼女と同じような考えだったのが嬉しい。彼女が俺と同じように思ってくれたことが嬉しい。
「あ・・・・・・」
 彼女が足を止める。俺も止める。目の前はもう駅だった。
「着いちゃいましたね」
 そういう彼女の声が寂しげに聞こえたのは俺の勝手な思い込みだろうか。
「送ってくれてありがとう。また今度あのお店に遊びに行くよ」
「はい。あ、そうだ。ちょっと待ってくださいね」
 彼女は懐からメモ帳を取り出すと(女の子らしいかわいい手帳だった)手早く何かを書き込んでいく。
「これ、私のメールアドレスです」
「え、いいの?」
 メールアドレスを無闇に人に教えるべきではない。それは情報化が進んだ今の時代では当たり前のことだ。
「はい。せっかく知り合いになれたんですから」
 だというのに彼女は屈託のない笑顔でそれを教えてくれると言う。それは、彼女に信頼されているとうぬぼれてもいいということだろうか。今日会ったばかりの俺を。
「あ、じゃあ俺も教えるよ」
 彼女から1枚メモをもらって自分のメールアドレスを書いて渡す。
「次会う時は連絡してください。迎えに行きますから」
「いや、そこまでしてもらうのは・・・・・・」
「道、わかりますか?」
「う・・・・・・」
 そういえばさっきは尾け・・・追いかけるのに夢中で、今度は話すのに夢中で道なんてさっぱり覚えていない。
「・・・・・・お願いするよ」
「はいっ」
 なんだかいろいろ男として傷つきながら二人で駅へ。
「それじゃ、また今度連絡するよ」
「はい。また今度。あ、いえ」
「?」
「今日はこの後ALOしますか?」
「うん。そのつもりだけど?」
「じゃあ、次に会うのは夜ですね。ALOの中で会いましょう」
 え、これってもしかしてデートのお誘い?
「そうしたらアスナさんやリズベットさん達みんなとどこかにいきましょう」
 なんて、現実はそんなに甘くはないわけで。
「いいけど、俺そんなに強くないよ?いいのかな」
「いいんですよ。強いとか弱いとかそういうのは関係ありませんから。レベルだけ見て付き合い方を変えるなんて悲しいじゃないですか」
 はっとさせられた。それは不特定多数のプレイヤーが集うMMOゲームではつい忘れられがちなことだ。
 レベルが低いから遠慮して強いプレイヤーの中に入っていけない。レベルが高いからレベルの低いプレイヤーを邪魔者扱いする。
 いつの間にかそういう図式が成り立ってしまっているのだ。そして、俺も自然とそういう風に考えていた。
「そう、だね。うん。じゃあ今日はお邪魔させてもらおうかな」
「お邪魔だなんて。気にしないでください」
 そこで電車がホームに到着した。巻き起こった風が彼女の髪を揺らす。
 そっと手を添えて髪を押さえる仕草は2つしか年が違わない彼女をずっと女の子っぽく、大人っぽく見せる。
「それじゃあ、また今夜」
 思わず彼女に見とれていた俺はその声ではっと我に返った。
「あ、うん。また今夜」
 電車に乗り込む。すぐに扉は閉じ、俺と彼女とを隔てた。景色が流れ始める。
 彼女は俺が見えなくなるまで手を振っていてくれた。俺も、彼女が見えなくなるまで手を振り返した。


 さて、次に彼女に、いや、彼女達に会うのはいつにしようか。街で見かけた幻を追っていたら見つけてしまった幻想郷。
 今思い返してもとても信じられないけど、今日あったことは確かな現実なんだ。
 彼女からもらったメモを眺める。
 とりあえず、次にあったらどうしてリアルと同じ顔のキャラクターを持っているのか聞いてみようかな。
 それすらもどうでもいいのかもしれない。あの子に会えるんだから、些細なことだ。
 好きになった人はゲームのキャラで、そのキャラは現実に存在したなんて、事実は小説よりも奇なりとは正にこのことだ。まったく、本当に
「楽しくなってきた」


現実と幻想の境界